幼い私が一番怖かったこと
小さい頃から、漠然と恐怖に感じていることがあります。それは親が死んでいなくなってしまうこと。生きている限りいつかそういう日が来る。私が「死」という存在を知ったのはいつだったかなぁ。もう思い出せないけれども、その日を意識すると胸が苦しくなる。だからずっとずっと永遠に長生きしてほしいと神様にお願いしていました。
死んじゃった方が楽だったのかも
去年の夏、母は倒れました。少し風邪気味だと言っていたけど、持病が手伝って一気に状態がひどくなってしまいました。意識がなくなり救急搬送。蘇生で一命をとりとめたものの、そこからICUで人工呼吸器をはじめとする様々なチューブが母の体に入って命を支えることになりました。「きっとすぐに良くなるからお母さん頑張ってな」そう思ってたのに、母は少し良くなっては、また悪くなりを繰り返しました。
持病で目が殆どみえず、口も呼吸器でふさがれ、両方の鼻の穴にもチューブ。中耳炎にもなり耳までも聞こえずらくなりました。両手はベット柵に縛られ、点滴や排泄のためのチューブが交差。寝返りすらできない。暗闇のなか、高熱で顔を真っ赤にした母。その辛さを思うと私は胸が張り裂けそうになりました。そして、あんなにあんなに親の死を恐れていた私が「もう、お母さん死んじゃったほうが楽なのかも」って思ってしまいました。
だけども、それは私の思い込みでした。母は苦しいなかでも幸せを感じていたのです。母に幸せを与え続けた父。私は両親からまた色んなことを学びました。それを当時のブログに綴っています。
「今も変わらず幸せなのかもしれない」
↑辛いばかりだと思っていたのに、母の気持ちのなかの「わくわく」を知ったこと。夫婦の愛の力に感動したこと。
「新しい年のスタートに報告させてください」
↑手術から回復のこと
退院
母はたくさんの方に助けていただきながら、先日無事退院することが出来ました。ICUで呼吸器が入っていたのが100日間、手術リハビリで全入院期間は約8ヶ月でした。
昨日は母の退院祝いと68歳の誕生日のお祝いを兼ねてパーティをしました。母が自分で呼吸をしている、母が家にいる、母が焼鳥を食べている、母が笑っている。あの時のことを思うと、夢のようです。
奇跡を味わっています
母がこの日を迎えられたことは、ただただ奇跡です。母の生命力のほか、父の母に対する愛が、母にたくさんの奇跡をもたらしたと思います。
そして治療に携わってくださった方々。中でも母の主治医である井口先生。何度も生死の分かれ道に立った母を、様々な医師と連携しながら、いつも「生」へ導いてくださいました。その判断やカンやタイミングが少しでもズレていたら、今の母はなかったと思っています。
そしてそして、皆様の祈りが母に信じられないようなパワーを与えてくださいました。ありがとうございます。