前回の続きです
そうは言ってられない事態
母はディサービスに通っていて、その間、父はスポーツジムで泳いだり、畑に行ったり、自分の時間を持つことができた。でも母は先月からディサービスを拒否するようになった。父がずっと付きっきりの状態に。母は音に敏感になっているのか、テレビをつけることも音楽を流すことも嫌がる。母にとってはそれが居心地の良い世界なのかもしれない。でも、父にとっては…。
父は母のことが大好きなので、きっと母の望むことはなんでもしてあげたいって思っていると思う。でも、母とふたりっきり、社会との繋がりもなくなり、シーンとした静けさの中で、大好きな人が変わっていく姿をみながらの介護。24時間気が休まることがない。心身ともに相当なストレスになっただろう。育児とは違って介護はどんどん出来ることが減っていくのをみていかなくてはならない。それは想像以上に過酷なことで、父にかなりのダメージを与えた。
私の信念
それから色々あった。本当に色々あった。先月、4月は書ききれないほど心が揺れた。とにかく父が心配だった。妹もしんどかったと思う。
私に何ができるのか考える。そんななかでも私にはひとつの信念があった。それがブレないように必死で自分と向き合った。私がブレたくなかったのは「親の為に◯◯ができなかった」「親の為に◯◯を諦めた」とか、そういうのは絶対ないようにしようということだった。
なぜかというと、もし私が親の立場なら、子どもにそう思わせるのが一番辛いことだと思ったから。間に合わせの介護はすぐに破綻する。介護はそんなに甘くない。誰かが犠牲になったり、必死に頑張ったら良いというものではない。先は長い。(これはあくまで私の考え方。色んな考え方があって良いと思う)
チカラになりたい。親孝行したい。でも、自分のやるべきことや幸せも大事にしたい。両方出来る。きっと出来る。その方法は必ずある。そうやって今、バランスをみつけている途中。
介護のスペシャリストの方々とミーティングする機会もあった。様々な方がうちの家族のために提案や行動をしてくれる。ありがたいことだなぁと思う。
オムツでも大好きは減らない
先月のある日、私が母を自宅で預かり、父は少しの時間お出掛けをした。今のところ、母はうちに来ることは拒否をしない。
母はオムツをトントンとして、私に合図をくれた。オムツを替えてほしい合図。はじめて母親のオムツを交換するときがきた。どんな感情の波が襲って来るのか、ドキドキした。一緒にトイレに行く。母のパンツをおろす。
「あれ?!」
平気だった。当たり前だけど目の前にいる人は、オムツだろうがなんだろうが、私の母だった。「大好き」が減ることもない。オムツが綺麗になって、さっぱりしている母が目の前に立っていて、ただただ、それが嬉しかった。あんなに怖かったことが、やってみるとまったく怖くなくなった。なんであんなに怖かったんやろう?って、笑ってしまった。
幸せは感じるもの
これから先のことなんてわからない。状況は日々変わっていく。家族でたくさん悩むことがあるかもしれない。弱音をはくかもしれない。でも、悩むことはイコール不幸なことではない。人生には色んな場面がある。どんな状況でもみんな幸せであり続けることが出来るって思ってる。幸せはすでにあるものだし、感じるものだ。
母は、ICUに入院して生死をさまよってるとき「父が面会に来る時間がワクワクする」と私に教えてくれた。母は幸せを感じることの天才↓↓
今も変わらず幸せなのかもしれない – りんご助産院より愛を込めて
私はそんな両親の娘で幸せだと思う。5月8日は母の誕生日、母がニッコリ笑うことを、なにかひとつでもできればいいなと思う。
ありのままを表現すること
この事を書くのは正直迷った。でも将来、私の子どもたちも同じようなことで悩むことがあるかもしれない。だから、こんなとき私はこんな気持ちになったよ。こう考えたよ。こう感じたよ。ということをやっぱり書き留めておこうと思った。そして、これからもありのままを表現していこうと思う。
不思議なことに、最近、親子関係の相談をたくさん受けるようになった。私が経験していることは、なにかきっと意味があるのだろうと思う。
※私がブログを書く理由はこの記事の終わりの方に書いてあります。抜粋します。
私が子どもに残せるものは多くはありません。命のバトン、思い出、愛情くらいかな。目に見えるもの、カタチに残るものはありません。このブログは、流れゆく時々の自分の想いや、何気ない瞬間を文章にしておくことで、子どもたちが巣立ったあとや、私が天国に帰って会えなくなったあと、子どもたちがみて「オカンはあの時こんなことおもっとったんか〜」「オカンはこんなこと考えながら生きとったんか〜」「コレ、ほんまオカンらしいなぁ〜」「アホちゃうか〜!」とか、ありのままの私のコトを感じてくれたらいいなと思って始めたのがキッカケです。そして、ホッコリしたり、驚いたり、共感したり、苦笑いしたり、納得したり、「なんでやねん!」ってツッコミ入れたり、懐かしく思ったり、参考にしたりしてくれたら良いなぁと思っています。
今、子どもたちは、このブログの存在を知りません。もし子どもたちに必要があれば、いつか何かの機会に目に触れることがあるかもしれない。その程度で良いのです。そんな自己満足ブログですが、これからもコツコツと続けていこうと思います(≧∇≦)