りんご助産院より愛を込めて

〜神戸市垂水区で母乳育児に寄り添う助産師 林美佐子のスローライフ日記〜

家族

はじめて母親のオムツを交換したときの気持ちは意外だった。その1

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母に必要だったもの

人ってうまくできているなぁって思う。

3年前、母は風邪をこじらせて危篤状態になった。蘇生により一命をとりとめたものの、それから100日間も人工呼吸器をつけないと生命が維持できない状態だった。口には呼吸器、鼻にはチューブ、他に数本の点滴のライン、尿を出すための管。身体中にいろんな管が入っていた。持病があって目が見えない母。中耳炎になって耳もほとんど聞こえていなかった。何も見えない、聞こえない。話すこともできない。苦痛を伝えることもできない。命が終わっていくかもしれない恐怖と24時間向き合わなければならない、それは、どれほどのストレスだっただろう。

きっとその極限のストレス状態を乗り切るためには、脳の活動を抑えなければならなかったんだと思う。だから母は認知症というギフトを神様から受けとったんだ。まだ70歳。認知症になるには若い。でもきっと母には必要だったのだと思う。

現在は母の身体は奇跡の回復をとげ、実家で父とふたりで生活している。今では自分の足で歩き散歩もできる。ご飯も自分で食べることができる。だけど、日々、認知症の症状は進んでいく。

これまで母のことはたくさんブログに書いてきた。

認知症が受け入れられない

でも、認知症が進んでいく母のことはなかなか言葉にすることはできなかった。どうしても受け入れられない自分がいた。

今度会ったとき「だれですか?」って言われたらどうしよう…。その恐怖は言葉になんてできない。また、自分で排泄ができずオムツをしている母にすこし腹立たしさを感じていた。

昔からそうだけど、母が風邪を引いたり病気になるたび、すごく心配なのに、なぜか腹立たしさが前に来る。なんで病気になんかなるん?お母さんは元気でいてほしいんねん!病気になんかなったら嫌や!そう思ってしまって「そんなところで寝てしまうから風邪ひくねん!」とか、優しくできないこともあった。

看護師として病棟勤務をしていたとき、オムツ交換なんて日常茶飯事だった。慣れている。なのに、自分の親となるといろんな感情が入り混じる。だから、父が母のオムツを交換するところを見るのがとても嫌だった。だからといって私が父の代わりにすることはできなかった。

情けないけど、変わっていく母に心がついていかない。どうしたら良いのかわからない。そしてどんどん実家から足が遠のいた。

でも、そうは言ってられない事態が起こる。

次回へ続く


↑実家からもらったお花がうちの花壇で綺麗に咲いた

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