プロフィール

私が34歳で助産師になったワケ(4)

発熱


やっと母になった

「自分で産んだ」「やり遂げた」

という満足感は、なかった

 

 

でも、これから育児が待ってる

頑張っていこうって

自分に言い聞かせた

 

 

 

手術当日のひどい傷の痛みも

あかりが生まれた喜びで

乗り越えられた

はやく、お世話をしたかった

 

 

 

それなのに…

手術の翌日、熱が出た

38度~39度の熱

 

 

 

傷もズキズキ痛んで

寝返りをうつのもやっと

 

 

新生児室で過ごしている

あかりの様子を

家族がビデオに撮ってきてくれた

 

 

あかりにおっぱいをあげたり

オムツを変えたりしたいのに

 

 

できない

 

 

なんで、こんな大事な時に

熱なんかでるんよ!!

悔しくて悲しくてまた泣いた

 

 

 

こんな状態が2,3日続いたあと

やっと解熱した

母児同室が始まった

この時、本当に嬉しかった!!!

 

 

 

 

【育児スタート】

 

 

授乳の仕方がよくわからず

授乳室に行って教えてもらう

 

 

赤ちゃんのおっぱいを吸う力って

思った以上に強く

乳首が切れて血が出てた

 

 

 

授乳室ではお母さんたちが

お産の話で盛り上がってた

私は、その話には入れなかった

 

 

 

たまに、聞かれることがあったが

「私、帝王切開だから」と言ったら

気まずい雰囲気が漂い

その場が、シーンとしてしまった

 

 

私は、劣等感でいっぱいだった

 

 

私は、おっぱいをあげる時が

とっても幸せだった

 

 

その時は知らなかったことだけど

おっぱいをあげることで

オキシトシンという幸せホルモンが

ドバッと出る

 

 

ほわーんと幸せな気分にしてくれるし
我が子を可愛いと思わせてくれる

同時にプロラクチンというホルモンは

短時間睡眠でも熟睡感を

もたらしてくれる

 

 

 

大変なお母さんを

助けてくれる機能が

ちゃんと身体には備わっているのだ

 

 

 

母性なんて

はじめからあるわけじゃない

 

 

こうやって

完璧なまでのからだの機能を使ったり

赤ちゃんと接するなかの相互作用によって

徐々に育んでいくものなのだ

 

 

あかりを心から可愛いと思えた

 

 


【あかりを傷つけた】

 

ある日、あかりの爪がのびていて

顔を引っ掻いて痛そうだったので

爪を切ってあげたいと思った

 

 

看護師さんに爪切りを借りにいき

やり方を教えてもらったあと

自分の部屋で実際にやってみた

 

 

 

注意深く切ってたつもりだった

でも、手が動いて
なかなか
上手くできない

その時、あかりの指から血がでた

皮膚まで切ってしまった!

 

 

あかりが大声で泣いた

私はオロオロして

看護師さんのところに連れて行った

 

 

「あー、切れてるね。

一応、先生に診てもらおうか」

 

 

小児科の先生が診察のあと

私に一言いった

「気をつけてくださいね!」

 

 

何気なく言ったと思う

もっともな言葉だと思う

でも、劣等感のかたまりの私は

すごく自分を責めた

 

 

 

「なんというダメな母親!

自分の子どもを傷つけて

あんなに泣かせて・・・」

 

 

 

部屋に帰って、何度も

あかりに謝りながら

泣いていた

 

 

 

今、思うとそんなに悩むことも

泣くこともなかったと思う

 

 

でも、実は
そういう時期でもあったのだ

 

 

母性看護学を学んだ人は

当たり前に知ってることだけど

 

 

この時期の母親は

ホルモンのバランスの関係で

注意力が散漫だし

メンタルも、とても不安定になる

 

 

そういう生理を、周りが理解して

接してあげることが
けっこう大事なのだ

 

 

 

 

【言葉のナイフ】

 

友達や親戚がお見舞いにきてくれた

それは、とても嬉しかった

 

 

でも、楽しく会話している最中

「いいなー帝王切開してもらって~

私なんて陣痛に耐えかねて

もう、お腹切ってーって

言ったのに、してくれんかったわ

ほんま、痛かったよぉ

鼻からスイカ以上やったよー」

と、ある人が言った。

 

 

 

私だって、陣痛知ってるし!

好きで帝王切開したわけじゃないし!

 

 

傷ついた

その言葉がナイフのように思えた

 

 

その場では

微笑むのがやっとだった

 

また、ある日は

沐浴の練習中、傷が痛すぎて

最後までできず、途中で

看護師さんにかわってもらった

 

 

そんな自分を情けなく思った

 

 

 

みんなが当たり前に出来てる事が

私には出来ない

 

 

 

自分を責めて…

それが溜まって

とうとう、夫にしがみついて

思いっきり泣いた

 

 

夫は、私の頭を撫でながら

「美佐子は頑張ってる

大丈夫やから・・・」

と慰めてくれた

 

 

本当に、ややこしい私(^_^;)

 

 

今の私が

もしこの時の自分に会えるなら

言ってあげたい

 

 

「帝王切開だって立派なお産だよ

私は今、このお腹の傷を

誇りに思ってる(≧∇≦)

焦らなくてもいいよ

ゆっくりやればいいんだよ

大丈夫!

痛いところだらけなのに

めっちゃ頑張って

ホントに、偉いね~♡」

 

 

 

 

【退院】

 

 

そんなこんなの入院生活

日がたつごとに私は元気を取り戻した

 

 

おっぱいもたくさん出てた

それが、何よりだった

 

 

退院の日、新緑の中を車が走る

 

 

おじいちゃん・・・

初孫のあかりが産まれましたよ

今日から新しい生活が始まりますよ

 

 

澄んだ空を見上げると

感謝の気持ちが湧いてきた

 

 

昨日のことのように覚えている

希望でいっぱい

本格的な育児がスタートした

 

 

 

 

【夫の就職はどうなった?】

 

 

夫は、就職を一時見合わせて

ある学校に入学し勉強を始めた

 

 

生活は苦しかったけど
振り返れば

このタイミングで勉強ができたことで

夫の道は開かれたと思う

 

 

夫は、その後

自分の好きなことを仕事に出来た

ワクワクしながら仕事する姿

 

 

それは、みていて気持ちがいい(^з^)-☆

妊娠・出産でつまずき、

育児もやっぱりつまずいた!

 

 

たくさん出てたはずのおっぱいが…

ずっと泣き続ける我が子に…

子育ての大変さを思い知る

 

(5)へ続く・・・