りんごの思想

歩く説得力になりたいと思う

素直に受け入れられるのと、そうでないのと

自分自身が実際に行動して、経験したり、成果をあげていたり、自分のものにしていたり、楽しんでいたりする人の言うことはスッと受け入れることができる。あと、失敗も立派な経験。行動しなかったら失敗すら出来ない。失敗を通じて、上手くいかない方法がわかったというだけでも前に進んでいる。だから、失敗は成功のもとなんだと思う。

だけども、頭の中の知識だけで、実際の行動が伴っていない人の言うことは、受け入れるのは難しい。

例えば、太った私が、妊婦さんに「太っちゃダメだよ!」って食事や運動の指導をしたとしたらどうだろう?その人は、私の指導に耳を傾けてくれるかな?

例えば、吹き出物がいっぱいでお肌がガサガサの美容部員さんに「これは、お肌がピカピカになる化粧品ですよ〜」って勧められたとして、買う気になるかな?

例えば、年収500万円の人に「このセミナーを受講すれば年収1億になるのも夢じゃないよ」言われて、そのセミナーを受けたいって思うかな?

これらは「知っている」だけであって、行動が伴っていないのだ。経験になっていない。コレってものすごい大きな差がある。「”やったらできる”は”できない”のと同じ」

やってみたら「◯◯でした」「◯◯だったよ」って言えるということ

私の周りには、実際に行動できる人がたくさんいて、とても刺激になる。「やってみよ」って経験を重ねてゆく人の言うことは、とても説得力がある。「これをしたら◯◯らしいです」よりも「これをしたら◯◯でした」って言える。それってすごい強みだと思う。

「やってみよ」の人に共通していること

「やってみよ」の人に共通していると思うことは、他者の批判をしないということ。まず、必要ないのだと思う。だいたい「やってみる」ことに忙しいので、人のことあれこれ気にしている暇なんてない。そして、経験によって培われた自分への信頼があれば、わざわざ他者の批判をして自己肯定する必要がない。「人の人生」を生きているのではなく、軸が自分自身にあって、「自分の人生」を生きている。

歩く説得力で死ぬまで生きる

そんな人たちに影響されて「やってみよ」や「やってみなはれ」や「いってまえ〜」の人でありたいと思っている。そして歩く説得力になりたいと思う。

人生は自分が思ってるほどずっと続くわけではない。うっかりしてたら終わってしまう。「あー楽しかった!」って天国に帰るその日まで「生きる」の♡


りんご助産院の3周年記念日にいただいたお花。(りんごいり♡)
お花は、ただ咲いてる。そういうの憧れるなぁ。