玄関に立っていたのは見知らぬ少年
「ピンポーン♪」自宅で仕事をしていると、玄関のチャイムがなったので出て行った。ガチャっとドア開けると、そこには見知らぬ少年が立っていた。「あの、昨日アメをあかりさんに貰ったんです。」「?」「コレ、お詫びのしるしですので、あかりさんに渡しておいてください!」私は何のことだかさっぱりわからなかった。「なんかよーわからんけど、あかりに渡しといたらええのん?」ときくと「はい!お願いします!」と少年が言うので受け取っておいた。なんだかちょっとシャイな感じで可愛い少年やなぁと思った。
その真相は・・・
出掛けていた娘が、そのあとすぐに帰ってきた。「さっき、男の子がグミ持って来てくれたん、預かってるでー」と娘に伝えると、娘がクスクスと笑い始めた。「なんでグミくれたん?」と理由を娘に聞いてみた。すると、こんな事実があった。
昨日、Mくん(特別、娘と仲が良いわけではない)が、今日みたいに突然家にやって来て「お願いがあるねんけど、アメちゃんくれへん?」と言ってきた。娘は訳がわからず、ちょっと困ったけど「う、うん。じゃあこれどうぞ。」と家にたまたまあった飴をMくんにあげたらしい。で、そのあとわかったのは、それは「○○さんの家に突然行って、飴を貰ってくる」という友達どうしの悪ふざけから始まったゲームだったらしい。(何故、うちが選ばれたのかは不明だけど…笑)
なかなか面白いことをしますよねぇ。この少年にとって、よいネタが出来て良かった!良かった!まあ、あえて突っ込ませてもらうなら、小学生みたいな遊びやけどなっ!(現在中3)
やるか、やらないか、の差
私は思った。友達同士で話が盛り上がって「やろうぜ!」ってなることって結構ある。あるいは、本を読んだり、セミナーに参加したり、人にきいたりして、影響を受けて「よし!やってみよう!」って何かに対するモチベーションが上がることがある。でも実際、どれだけのことを実行に移すだろう?そのときは、心から「やりたい!」って思っても、勇気や勢いが足りなかったり、急に自信がなくなったり。
寝かせてしまうと、それは少しずつ色褪せていく。距離があるように思えてくる。それを「みて見ないふり」する自分に気が引けて、出来ない(出来なかった)理由をたくさん考え出す。どうせ○○やし。そんな言い訳。
0から1に出来る人に可能性を感じる
1と10の差よりも、0と1の差の方が大きいと思う。どんな小さなことでも「やってみる」って大切だと思う。今、やるか、やらないか。それでその先が変わってくる。
車を停まっている状態から動かすのって、いちばんパワーがいる。でも動きだして加速していくと、はじめほどのパワーはいらなくなる。
0を1にできる人は本当にすごいチカラと可能性を持っていると思う。それがたとえしょーもないことでも、0から1をにするチカラ自体がすごい。私の尊敬する人々に共通してることは、まずやること。もちろん、たまに失敗もする。バカにされたり、「ほらみたことか」と言われたり。だけども、それをネタや笑いにしたりして、心のままに、またやる。
何も具体的なアクションを起こさず、人や物の批判ばかりして自己肯定感を満たしている生き方よりも「今日、こんなことをやらかしてもた!」っていう生き方のほうが、私はよっぽど面白いと感じる。
アメちゃんの話から、ずいぶん広げてしまったけど、少年の小さな勇気は微笑ましい。「ネタ」をたくさん持っている人は、なんか素敵だ。私もたくさん面白いネタを作ろう♪