りんごの思想

今も変わらず幸せなのかもしれない

母のお願いごと

「お父さんを祝ってあげてな」「お母さんなんにもできひんから」母が私の手になぞった言葉。11月15日は私の父の誕生日。だけど、病院の母は自分が何もできないことを悲しいと思っているみたいだった。そっかぁ。そうだよな。母は昔から家族の誕生日は絶対に忘れずプレゼントを渡す人なのだ。8月、母が緊急入院して間もない頃。お見舞いに行ったときに「林くんへ」と書いた、私の夫への誕生日プレゼントを突然渡された。母は、父にお願いしてプレゼントを用意してくれていたのだった。こんな時にも…って驚かされた。

母にできること

父は毎日、午前と午後の2回は必ず母のもとへ行く。私は父が病院に居ない時間を狙って、お昼頃に母に会いに行った。「お母さん、私が代筆するから、お父さんにお手紙書かない?」ってきいてみた。すると、母は嬉しそうに頷いた。「書きたいことを私の手に書いて。」すると母の想いが私の手のひらに次々に描かれた。

それらを私は便箋へ書き写す。最後にちょっとだけ頑張ってペンを持ってもらい、母にサインをしてもらった。「じゃあ、夕方にお父さんをここ(病院)に連れてくるから、お母さんから渡してな。お父さんにはそれまで内緒な♡」すると母はうん!うん!と頷いた。「お花も用意するね!」っていうと「いや、お花は庭にたくさん咲いてるからいいわ。それより果物のほうが、お父さんは喜ぶと思う」って母らしい現実的な意見があり(笑)、「じゃあ、果物買ってくるな」っていうと、またうん!うん!と頷いた。

母から父へのプレゼント

夕方、父を連れて病院へ。さあ、その瞬間!母は前開きの着物の胸に入れてあった手紙をそっと出した。それに気が付いた父は、驚いた様子で手紙を受け取った。手紙を読む父の表情。嬉しくて切なくて…。そんな父の表情は、私の文章能力では到底表現できない。母の溢れんばかりの想いが、そっと父を包み込んだ。うちの家族も、妹の家族も、みんながその様子を見守った。

その後、病院の近くの焼鳥屋さんでパーティー。(また焼鳥!)まあ、みんなよく食べること‼︎大人数でワイワイと楽しい時間でした。


母から頼まれた果物。ウイスキー「山崎」は、家族みんなから。今度、一緒に飲ませてもらおーーっと♡

私の勝手な思い込み

先日、今の母の姿をみるのが辛いとブログに書いた。何本もの点滴の管、排泄の管、両方の鼻の穴にも管が入っている。そして、もう3ヶ月近く、呼吸器の管を口にくわえている。私なんて点滴を数時間するだけでしんどいし、歯医者さんで5分間口を開けておくのも苦痛でしょうがない。母は寝返りも自分で出来ない。そして、母は持病で、もともとほとんど目が見えない。この状態って、意識がハッキリしている母にとって、どんなに苦痛だろうと思う。

正直にいうと、母が緊急入院をしたあの時、助からなかったほうが母にとって楽だったんじゃないかと思ってしまう時もあった。だけど今日、それは私の勝手な思い込みだということに気付かされた。

その時間になるとわくわくする!

母は手紙の中で、毎日自分のもとへ通ってくれる父に対して感謝の気持ちを述べている。そして「その時間(父が行く時間)になると、わくわくします」と自分の気持ちを表した。私は、母からまさか「わくわく」なんて言葉が出ると思わなかったから驚いた。私が勝手に辛いだけじゃないんだろうかって思ってた、母の生活の中に「わくわく」があったんだ!もう、嬉しくて、代筆しながらまたまた涙がポロポロ…。そして、そんなわくわくの時間を母に毎日贈り届けているいる父に、尊敬と感謝の気持ちでいっぱいになった。父は父で「お父さんがただ淋しいから行くんだ」って言ってるけど。

母はきっと幸せ

私は母が辛いんだって思い込んでいるから、辛い母をみるのが辛かったんだ。無理矢理に母を生かしてるのでは?っていう、勝手に作りあげた私の中の罪悪感に胸がぎゅーっとなることがあったけど、それが少し軽くなった。母はいつだって人を愛してて、そして愛されてて、今も以前と変わらず幸せなのかもしれない。


↑便箋に書き写すときに忘れないように撮っておいた実際の母の筆談「わくわくします」