「命の授業」
最近、小学校や中学校で、この様な授業を積極的にされています。私も縁あって去年から母校の中学校の授業にスタッフとして参加させていただいます。
↓これは去年の投稿
今年は今日がその日。対象は中学3年生。じつは、私の娘のいる学年。朝に「今日学校に来るんやろ?」と娘にきかれ、「うん、行くで」って軽い会話を交わしたけど、思春期の娘にとって、親が授業しにくるってどんな感じなんだろう?多分ちょっと恥ずかしいのだろうなぁ。
授業は3つに分かれています。1つ目はお母さんと幼児に来ていただいてるので、幼児と接する(遊ぶ)体験をしてもらう。2つ目は赤ちゃんの人形を用いて育児体験。そして3つ目は妊婦さんとの触れ合い。
どんな言葉より
私は3の妊婦さんとの触れ合いのお部屋担当。妊婦さんへの質問では、「産むの痛いらしいけど怖くないですか?」とか「親になった実感をしたのはいつですか?」とか「名前は決まっていますか?」とか、たくさんの質問が寄せらた。妊婦さんがこたえるのを「へぇぇー」って聞く生徒さんたちの目の綺麗なこと!
ドップラーという機械を使って、お腹の中にいる赤ちゃんの心音を生徒さんたちに聞いてもらいました。「トン、トン、トン…」その音が聞こえた時のみんなの「おぉぉ」っていう顔。感性豊かなみんなには、どんな言葉で語るより、命の神秘を感じることができるんだろうなぁと思いました。
その後は、全員に妊婦さんのお腹に触れてもらいました。「すげぇぇぇーー!」赤ちゃんが動いたのがわかると「うわぁー」って歓声があがっていました。手のひらの向こうに赤ちゃんがいるってことを実感することが出来たかな?たくさんの生徒さんから「元気に生まれますように」って言ってもらって、妊婦さんも嬉しそうでした。
ちなみに、去年妊婦さんの役割を引き受けてくださったお母さんが、今りんご助産院に通ってくださってます。聞くところによると、ずっと逆子ちゃんで治らなかったのが、みんなに触ってもらった後にちゃんと頭が下になってて無事に安産されたそう!なんか、すごいですよね♡
手紙
そんな授業を受けたあと、生徒さんには各教室で、事前にそれぞれの親が子どもに向けて書いてあった手紙が配布されたそうです。もちろん私も(父親である夫も!)数日前に娘にあててこっそり手紙を書いて、担任の先生に渡してありました(笑)
今日、学校から帰宅した娘が興奮気味に話してくれました。「手紙、ヤバかった!」と。感情豊かな(泣き虫な)うちの娘は、涙が堪えきれず、トイレにこもってしまったそうです。手紙の内容は、娘が私たちを選んで生まれてきてくれたことがどんなに嬉しいかということを書いた。その時に先生がBGMで流してくれていた曲も、娘はたまらなかったみたいで、その歌の歌詞を夕飯を作る私の横で娘が読んでくれました。
手紙
作詞:不明
作曲:樋口了一年老いた私が ある日
今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの
私のことを理解して欲しい私が服の上に食べ物をこぼしても
靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように
見守って欲しいあなたと話す時
同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずに
うなずいて欲しいあなたにせかまれて
繰り返し読んだ絵本の
あたたかな結末はいつも同じでも
私の心を平和にしてくれた悲しいことではないんだ
消えて去って行くように見える
私の心へと
励ましのまなざしを向けてほしい楽しいひと時に
私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがることきには
思い出して欲しいあなたを追い回し
何度も着替えさせたり
様々な理由をつけていやがるあなたと
お風呂に入った懐かしい日のことを悲しいことではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しいいずれ歯も弱り飲み込むことさえ
出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら
出来なくなったならあなたがか弱い足で立ち上がろうと
私に助けを求めたように
よろめく私に
どうかあなたの手を握らせて欲しい私の姿を見て悲しんだり
自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを
知るのはつらい事だけど
私を理解して
支えてくれる心だけを
持っていて欲しいきっとそれだけでそれだけで
私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに
私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに
少しだけ付き添って欲しいあなたが生まれてくれたことで
私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を持って
笑顔で答えたい私の子供たちへ
愛する子供たちへ
母のこと
それを聞いた私。あかん。今度は私が涙ポロポロ…。ふと、私の母を想いました。
正直にいうと、私は今の母の姿をみるのがとっても辛いです。病院に行ったら、ついメソメソしてしまう。だから、仕事が忙しくて病院に行けないと、どこかホッとする私がいます。もう何日も母に会いに行ってなかったけれど、昨日は病院に行きました。
ICUに入り母の姿をみると、やっぱりまた一瞬にして涙が溢れてしまう。母に話したいことがいっぱいあるのに、声が詰まって出てこない。私は、まだ母の今の状態を受け入れられてないんだろうな。「なんでこんなふうになったんよ!」って、思うことがある。そして、そんなちっぽけな自分を責めたくなる。せっかく会いに行ってるのに、話もろくにできず、私の精一杯は、母の三つ編みを結びなおすことと、浮腫んだ足のマッサージをすることでした。
呼吸器で声が出ない母が、私の手のひらに指で文字を書きます。「気持ちよかったよ。ありがとう」そして「みさちゃん、最近どうしてるのか気になってたよ。大丈夫?」って。私「ずっとね、仕事が忙しかってん。」母「時間が遅いけど、子どもたちは?夕飯大丈夫なん?」私「うん!子ども達は、相変わらず、ほったらかし(笑)夕飯はおでんをたいてきたから大丈夫やで。」母「みさちゃんは良いお母さんやね!」私「……」
私は、全く良いお母さんではない。そして良い娘でもない。ただただ、自分勝手で泣き虫で弱虫な私を、やっぱり母は認め、包み込んでくれる。
大切な存在
親から伝わること。自分が子どもを生み育て思うこと。そして命の誕生に寄り添う仕事をしていて感じること。それは、みんな愛されていて、みんな大切な存在だっていうこと。